竜馬の家系図について 坂本龍馬のことなら龍悠会

坂本龍馬の家系図


■坂本龍馬をめぐる家系図■

坂本龍馬
父・坂本八平、母・幸の間に生まれた次男で5人兄姉の末子。
いみなは直柔(なおなり)。
土佐藩の郷士出身で、貿易結社・商社と政治組織を兼ねた
亀山社中(後の海援隊)の結成、薩長同盟の中立、大政奉還の成立に
尽力するなど、幕末の討幕運動で活動した志士。
その活躍が龍馬の死後、本や映画など多く取り上げられたことで
後世に永く語り継がれる幕末の維新志士となった。
※龍馬の功績は当サイトに掲載されているコラム
「坂本龍馬の人生」をご覧下さい。

お龍
本名:楢崎 龍(ならさきりょう)通称:お龍(おりょう)と呼ばれるのが一般的。
坂本龍馬の妻。
「寺田屋事件」の際、坂本龍馬に危機を知らせることで命を救ったとされ、
(この時、入浴中であったおりょうが裸のまま龍馬に危険を
知らせにいったという有名なエピソードが残っている。)
その後、坂本龍馬と結婚する。
寺田屋事件で負った傷を、薩摩藩の温泉地へ傷湯治をかねて旅行に
出かけたことが日本で初めての新婚旅行と言われている。
二人の間に子供はおらず、龍馬の甥である直が龍馬の死後家督を継いだ。
また、おりょうは龍馬の死後、再婚して男児を出産したが若くして
その息子を亡くしている。

坂本乙女
坂本龍馬の3歳年上の姉。女性の平均身長が145㎝前後とする時代に、
175㎝の長身と100㎏を超える大柄な体であったといわれる。
性格は、男勝りで薙刀・剣術・馬術・弓術・水泳などの武芸に
優れていた一方、
琴・三味線・舞踊・謡曲・経書・和歌などの文芸にも長けた、
文武両道の人物だったという。
母親・幸が亡くなった後は龍馬の母親代わりを務め、
書道・和歌・剣術などを龍馬に教え、
龍馬が土佐を出た後も手紙のやり取りを続けていた。
乙女の教えが龍馬のその後の人生に影響を与えたと言われているほど
龍馬にとって大きい存在であった。
※坂本龍馬と乙女のエピソードは
「坂本龍馬の人生 第四回:坂本龍馬を“育て上げた”乙女姉さん」
をご覧下さい。

坂本権平
坂本家の長男、坂本龍馬の兄。
その年齢差は21歳と親子ほど離れており、
若くして両親を亡くした坂本龍馬の親代わりの存在となった。
当初、坂本龍馬の脱藩には反対の立場であったが、
後に理解を示し、影ながら援助をした。
坂本権平は砲術に長け、古式砲術はもとより高島秋帆の
洋式砲術・高島流砲術を会得し、そのどちらも奥義許しを得ている。
その兄とともに坂本龍馬も砲術の稽古をし中々の腕前に
なっていたという記録が残っている。

坂本春猪
坂本権平の長女で、坂本龍馬の姪に当たる。
坂本龍馬とは8歳しか年齢が離れていなかったので、
叔父と姪の関係というよりは、妹のように可愛がられた
存在であった。
土佐を出た坂本龍馬との手紙のやり取りの記録も残っている。



■土佐・坂本家 家系図■
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坂本龍馬、坂本家家系図