「よばいったれ(おねしょをする)」とからかわれた幼年期の坂本龍馬は、
父や兄、その周囲からも相当心配されていたという。
郷士の家に生まれた子だから、武士としての気骨を示し、
その道で生きることを求められていた。
■坂本龍馬の兄:権平
幼少期の落ちこぼれ坂本龍馬が、次第にたくましい立派な青年へと成長していくのは、
坂本龍馬が14歳から5年間剣術の稽古に通った日根野弁治道場への入門も、
大きな役割を担ったと思われる。
しかし、一番の坂本龍馬にとっての指南役は、“坂本家のお仁王さま”とあだなされた、
坂本龍馬より3歳年上の姉“乙女姉さん“だった。
「男勝りで剣術は切紙の腕前、馬術弓術水泳も得意で、また経書和歌絵画はもとより
琴、三味線、一弦琴舞踊謡曲、浄瑠璃、琵琶歌などまことに多芸、多趣味」(坂本家
系考)の人だったという。
■坂本龍馬の姉:乙女
当時の女性ならず、現在の女性から見ても身体も大きかった。
(身長175センチ:5尺8寸、体重113キロ:30貫)
乙女は、坂本龍馬の母親役として、一生懸命龍馬を育て誰よりも坂本龍馬のことを思っていたの
かもしれない。そんな乙女が坂本龍馬を育てるにあたってのこんな逸話がある。
剣術道場では水泳は必須科目で、乙女はなんとか坂本龍馬に泳ぎを習得させたかった。
その猛特訓として、乙女は泳ぎができない龍馬を川へと連れ出し、素っ裸にさせて
身体に縄を巻き、そこに竹ざおをくくりつけて川の中での泳ぎを特訓をしたという。
(なんともスパルタな方法である・・・)
■坂本龍馬と乙女の水泳特訓
乙女いわく、こうやられたら、何がなんでも手足をバタバタとして体を浮かせるように
しないと溺れるから、自然に泳ぎの要領を覚える。ということだったらしい。
坂本龍馬を語るには、この乙女の存在は絶対欠かせない。
そんな乙女はどのような人間だったのか。
昭和の戦後まで、養護施設の寮母さんだった乙女の娘“菊栄”によると、
乙女は万事まで武家としての嗜みを貫き通したという。立ち居振る舞いはもちろん
のこと、魚の表裏を食べるのは武士の嗜みにあらずと、表だけを食べた。
家事は女中にまかせ、金に糸目をつけず稽古ごとに日々を過ごしたという。
------------------------------------------------------------
■坂本龍馬びいきのご隠居のつぶやき■
絶えず懐へ鉄砲を備え、薙刀も盛んに稽古をして、「 やってみぬか」とすすめる
女丈夫な乙女に、坂本龍馬が大きな影響を受けその生き方を歩んだのはとても自然な
ことなのではないだろうか。
女性ながら武芸十八般に通じていた坂本乙女が鉄砲を持ち歩いていたのは、
兄・権平の影響もあったのだろうか。兄の坂本権平は砲術に長け、古式砲術は
もとより高島秋帆の洋式砲術・高島流砲術を会得し、そのどちらも奥義許しを
得ている。その兄とともに坂本龍馬も砲術の稽古をし中々の腕前になっていたという
記録が残っている。ちなみに武芸十八般に砲術は入っていないが泳法術は含まれている。