竜馬の人生・第三回について 坂本龍馬のことなら龍悠会

 

坂本龍馬の人生を辿る

裕福な家庭に生まれた坂本龍馬の子供時代

坂本家は、初代八平直海から数えて3代目の八平直足へと受け継がれた。
この直足の子どもが龍馬である。

母の名は幸(こう)。
坂本家の末っ子として生まれた龍馬は、5人兄姉の末っ子であった。
坂本龍馬の兄姉は三女の乙女を除いて、みな10歳以上の年齢差があった。
坂本龍馬の家系図
■坂本龍馬の家系図⇒詳細

坂本龍馬が生まれたとき。
長兄.権平 21歳
長女、千鶴 18歳
次女 栄 15歳
三女 乙女 3歳

本家が才谷屋(さいたにや)という豪商であった坂本家は、郷士の中でもかなり裕福で
あり、坂本家が個人的に所有していた財産やその他の収入を含めれば相当裕福な
家に産まれたと言っても過言ではなかった。
身分的には上士の方が位の高く裕福な暮らしを送っているようなイメージが
あるが、当時上士には「半地借り上げ」という石高の半分を土佐藩に納める
納税の義務があり、郷士には「半地借り上げ」の義務は無かった。
そのことで坂本家は上士よりも多い160石を「半地借り上げ」することなく
所有できたのだ。

そのような裕福な家庭で、年齢の離れた兄姉 に囲まれて育った末っ子の坂本龍馬は、
後世に語り継がれる坂本龍馬像とはかけ離れた子供時代であった。
子供時代の坂本龍馬は気が弱く臆病で、近所の子供たちに泣き虫、鼻垂れとからかわれ、
11歳になるまでおねしょをしていたという逸話まで残っているのだ。
12歳で楠山塾(なんざんじゅく)へ通い始めた坂本龍馬は、間もなくして退塾してしまった。
それは、出来が悪く落ちこぼれであったため退塾となったという説や、
口論から上士の子供が刀まで持ち出す騒ぎとなったため父親によって
辞めさせられた、という説などが残っている。

子供時代「落ちこぼれ」と言われていた坂本龍馬が、後に偉人として語り継がれる
「坂本龍馬」へ成長することになる始まりのひとつとして挙げられるのが、
14歳で通い始めた剣術道場であった。
この道場で坂本龍馬は下士階級の武士が習う小栗流の剣術を学んだ。
坂本龍馬は朝から晩まで熱心に稽古に励み、志士への一歩を踏み出したのであった。

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■坂本龍馬びいきのご隠居のつぶやき■
坂本龍馬大好きご隠居の一言
坂本龍馬が最初に修めた武術である小栗流は土佐藩では広く学ばれていた。
創始したのは徳川家旗本であった小栗正信である。柳生石舟斎から柳生新陰流を
学んでいた小栗正信は「大阪夏の陣」での甲冑組討の経験から小栗流を創始した。
もともとは戦場で使ういわば総合格闘術であったが、幕末には剣術と柔術が主に
行われていた。坂本龍馬が学んだのはこの剣である。

坂本龍馬 家系図