さて幕末の日本である。工業力は未だ低く、
国は徳川将軍という中央権力の下、独立国家の
性格を持つ諸藩が日本を形作っている連邦制に
近い古い国家体制だった。その日本が欧米列強に
対抗するためには前回で述べた二つの条件、すなわち
「工業力=軍事力の向上」
「近代国家体制の確立」
が必要だった。
多少なりとも欧米の事情を知っていた者、例えば
河田小龍などはこの事に気がついていただろう。
ただこの二つををどう実現するかという点で、
日本人には実に様々な意見と思惑があり、それぞれが
同時多発的に行動を起こした。単純に外国人を排斥
しようという攘夷運動なども含め多くの要素が短期間の
うちに重なっているが故に幕末という時代は全体像が
把握しにくいのである。
■海上砲術全書■
「海上砲術全書」の元となるオランダ語で書かれた兵書
オランダ語を翻訳した日本の「海上砲術全書」
では同時に動き出した集団の中で代表的なものを
上げてみよう。まず江戸幕府・徳川将軍を筆頭に
諸藩が連合して国家を運営し、国力を増強して
欧米列強に対抗して行こうとした「佐幕派」がある。
従来の幕藩体制を再編強化し、体制的には極端な変更を
せずに日本を近代国家へ変貌させようとしたのである。
佐幕派の中でも有力な勢力が、衰えかけた幕府の威厳を
朝廷の権威を以って再興しようという「公武合体派」
である。公家=朝廷と武家=幕府を合体することで
政権再編を考えたのである。
他方、幕府では外圧に翻弄される事態を収拾することは
難しいと判断し朝廷を頂点とする新しい体制を作り、
行き詰まりを見せる事態を打開しようという勢力があった。
これが「倒幕派」である。最終的にはこの勢力が後の明治
新政府へとつながって行くのだが、これはまだ先の話だ。
こうした「体制がどうあるべきか」という主義の
違いの他に、開国派なのか攘夷派なのかという立場の
相違という要素もあった。だから佐幕対倒幕や
開国対攘夷というような対決の図式にして理解しようと
してもかえって事が分かり難くなるだけである。
なぜなら「佐幕であり攘夷」だったり「佐幕だが開国」
というグループがあったりと一筋縄ではいかないからだ。