14歳で日根野道場へ入門し、朝から晩まで剣術の稽古に励んだ坂本龍馬は、
19歳で『小栗流和兵法事目録一巻』を授けられた。
■坂本龍馬が授かった小栗流和兵法事目録
そして、さらなる剣術修行を積むために一年三ヶ月の休暇を貰い江戸へと旅立った。
この江戸留学には龍馬と同じ郷士の溝渕広之丞とともに江戸へ出発した。
このとき、坂本龍馬の父親である八平は「よばいたれ」だった息子のたくましい成長を
喜ぶと同時に、若い息子の旅立ちを心配する想いもあった。
坂本龍馬が東京へ旅たつ前に父八平より「修行中心得大意」(しゅぎょうちゅうこころえ
たいい)という、東京へ向かう息子の身を案じた訓戒状を渡している。
以下はその「修行中心得大意」(別名「坂本八平訓戒書」)の内容である。
一 片時も忠孝を忘れず、修行第一の事
一 諸道具に心移り、銀銭を費やさざる事
一 色情にうつり、国家の大事をわすれ心得違いあるまじき事
この訓戒を現代風に記載するとしたら、
一 いつでも忠孝を忘れずに、修行を第一にすること。
一 道具ばかり買って、銀銭の無駄遣いをしないこと。
一 色恋にうつつを抜かし、国の大事を忘れるような心得違いをしないこと。
と、いうところだろうか。いつの時代も親が子に抱く心配ごとは同じであったようだ。
■坂本龍馬のお守り「修行中心得大意」
坂本龍馬は父親から貰ったこの訓戒書をお守りとして肌身離さず持っていたという。
そんな父親の想いを胸に、江戸に留学した坂本龍馬は新たな剣術の修行先として
江戸三大道場のひとつである玄武館へ入門した。
この玄武館は北辰一刀流開祖である千葉周作の道場で、坂本龍馬はその弟・千葉定吉の
もとへ入門したと言われている。
千葉定吉は、兄・千葉周作と区別するため「小千葉」と呼ばれており、剣の腕前は
兄同様、優れていたと言われている。
しかし、この当時千葉定吉は鳥取藩の江戸屋敷に仕官し剣術師範をしていたので、
実際に坂本龍馬が入門した道場で師範代を勤めていたのは定吉の息子である重太郎であった。
土佐から江戸へ、坂本龍馬は何を感じ、何を学んだのか。
その旅はまだ始まったばかりであった。